落書き日記帳
気まぐれ日記が、2年半の時を経てしれっと再開。
このブログは、自分の今の心の声を形にしていこうと、当初のページデザイン設定諸々出直ししたものだったのだけど、形にしようとする程、かけ離れてしまうのが本意ではなく、過去のことやいわゆる常識的なことしか書けないことに打ちのめされた気持ちになって、放置となったもの。削除すらも面倒で、放置。苔むすまで…
しかし、またいつか書くかもしれないけれど、ちょっと心境の変化があって、そのめざすものが出来るのかどうか挑戦してみようという気になりまして。
とまあ勝手な感じなのですが、落書き気分の日常記録をつけてみようと思います。
そうそう、日常記録として、ね。
誰かの声
一部40円のちいさなちいさな瓦版。
その裏表紙に誰かが投稿した詩が載っていた。
私はそれを切り抜いて取っておいたので、何という冊子で
何という方が創られた詩なのか、なんにも分からない。
それはずいぶんと世話になり、可愛がってくれたお隣のおばさんが
死ぬ前にくれたものだったが。たぶん母に。
私がただ、もうお日様に当たる体力も気力もなく、
一日中雨戸も締め切って、死んだように息をしていただけの頃。
『この私の人生を 他のだれとも 代わりたいとは思わない』
そう書いてあった。
それは、私の目が見て、頭の中で意味を理解したものなのに、
私はこの『』を読んで聞かせてもらったように、
誰かの声で、確かに聞いたような気がしてならない。
この裏表紙を見ずに捨てていても生きていただろう。
でもこの声は間違いなく私をここに繋いでいる。
この私で生きている、それが証拠。
この作者にお礼を伝えることはできないが、
きっとそんなものなんだろう。恩を売る仕事だけはしてはいけない。
いつか自分のしていることが、何かの役に立って、時が経ち、
どこか自分の知らない場所で、「誰かの声」のように
知らない人を勇気づけるのかもしれない。
もうそれに勇気づけられる。