miaowmiaow's blog

猫とか漫画とか日記とか。雑記帳ブログ。

2011年12月12〜18日


故・佐野洋子さんの新刊『死ぬ気まんまん』読了。命と金は惜しむな、と最愛の父から何度も聞かされて育った佐野さんは、がんとどう向き合ったのか。小気味良いいつもの調子でさくさく、ぎょっとすることが書いてある。ホスピスでの患者生活や脳神経科医の命の捉え方など衝撃とともに勉強になった。。。
お医者さんとの繋がりを求めて、居場所を求めて、抗がん剤治療選ぶ人だって少なくない。孤独死自死がめずらしくない哀しい時代である。現場の医療関係者の苦悩に満ちた日々も現実だ。延命治療をしなかった佐野さんだからこそ見えた世界だったと思う。改めてご冥福をお祈りします。




最近、努力して得たものや作った物を、私にもそれ下さいと言われる率高し。。いいよ、あげるよ、こんなんで良けりゃ。改良して使って頂戴って渡すと「お手数おかけしました」だって。なんで素直にありがとうと言わないのか。言ったら負けのゲームでもやってるのか。だったらいいけれど。。。
利用するとかされるとか。どうでもいいじゃんと思ってきたし、その感覚さえもよくわからない。別の所では逆の立場でお互い様なんだろうと思うから。そうではあるけれど。こうも短期間に立て続けに起きるということは、やはり俯瞰して見る必要があるということだろう。。
まあ簡単なこと。もっと自分に誇りを持ってやれ!ってことだ。なんでもすぐに差し出すなと。他人を、かわいそうだった昔の自分とダブらせてはならない。
だから、もちろん大事なものは渡しませんよ。ただ、ありがとうと受け取ってくれる相手とならもっと多くを分かち合えるのに、もったいないなあと思うんだな。こればっかりは一方通行では成り立たないんだもん。



本日かなーり気の重い仕事をやり果せる。結果はどうであれ、というより結果なんて私の力の及ぶ範疇には無い。もう天に御任せだわ。そう一息つけたら気が廻るようになって身体も動く。明日にはしつこい風邪が抜けるかなあ。そうなったらいいなあ。
試練は自分を一皮脱ぎ捨てる為にあるんだと思うことにする。それを進化とか成長とか言ってしまえばそうなのかもしれない。でも私の中では自分の軸や核を明確にしていく作業であり、よりシンプルにしなやかに折れない強さを手にしていく(取り戻す)ものだと。自分の本質に近づく作業なんだと思う。




人は自信がつくと優しくなるものなんだね。拒絶していたり不安だったりする一部分を受け入れて、自分という生命体と和解してどんどん一体化していく。自分の内側に一番の味方がどんどん増えて、辛いことがあっても「大丈夫だよ」って内側から励まされる。だから外側に原因や責任を求めなくて良くなる。
私は記憶のない幼少の頃に右手の平に怪我をして、右中指がまっすぐじゃない。中指の関節は自分では曲げられない。多分それでボールがまっすぐ投げられない。幸せにも、そんなことには気づかないで大人になるまで生きてきたけれど。
キャッチボールは「相手の取りやすいところへ投げる」のが基本であり礼儀だと教わった時から、それが出来ない自分はなんて失礼なんだろうって思ってた気がする。傷つけるつもりはないのに傷つけてしまう。球を受け止めあいたい大好きな友達にこそ嫌な思いをさせてしまう悲しさを、ずっと感じてきた。
それにしても、投げてみないとどこに飛ぶのか分からない球を追い続けてくれる友達が居たことって、すごいことだ。子ども同士なのにさ。子どもだからなのかな。今の私にも出来るかな。出来たらいいな。それも知らないうちにやれていたらもっといいな。



ああ、今夜はいくつ流星が見られるだろう。星が流れるたび、落っこちた!って思ってしまう。拾って糊で貼りなおさなきゃ・・・と。自分より大きいものの構造など、到底うまく想像出来ないのであった。

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双子座流星群極大を迎えた14日の夜、2時間の間に20個くらいは見えたのだ!
17日にも1時間に5個くらいは流れてた。この日はとても空気が澄んでいて星空そのものが美しかった。