miaowmiaow's blog

猫とか漫画とか日記とか。雑記帳ブログ。

お父さんへ


精神的ショックからすぐに貧血で倒れてしまう父。

今日は結石手術退院後初めての外来。

もともと前立腺肥大があり、結石も定期的にできる人。

そして今年で70歳を迎える。

いろいろな薬を常時取り続けて半世紀。

気が小さく、不条理や突発的な物事への対処は

文字通り命を縮めることとなる。



担当医は分かっていて、今後も定期的に(月一回)

前立腺の検査をして予防&管理していきましょうと

言ったのだと思う。

私でも同じことを言うだろう、医者ならば。

が、父はこの外来で「もう治りましたからから来なくていいですよ」

って言われるものだと期待して行ったのだ。

だから今後もずっと検査・治療が続き、ずっと病人なのだと

ハンコを押されたように思ったらしい。



何とか薬を受け取って車に乗ったところでアウト。

失神してしまった。

息も絶え絶えに私へ電話をかけてきた。

「俺は・・俺は・・・もうこれで自由だと思ったのに」

そればかり繰り返す。

私が状況をわかりやすく説明しても理解できない。

町医者(何でも対等に話せる)には定期的に通っているのだ。

それと同じことがこの病院でも行われるというだけなのに。

俺を病気にして縛り付けておく権威というものに

絶対服従しなければならず、でなければ病気で死んでしまうと思っている。




なぜ治療法など医者まかせにしなければならないのか。

被害者意識が働いていないか。

周りから助けを得られるように声をかけてもらえるように、

自ら惨めで哀れな被害者を無意識に買ってでることがある。

被害者なしで加害者はありえないのだから。

そしてその心理は私にも脈々と受け継がれていたものだ。

「自分の命のこと、生き方は誰にも委ねないで欲しい。

自分を生きるとは自分が自分の主であることだから。」

そんなことを何度も言った。

「俺は昔からお前みたいにはっきりした意志が持てない。薄弱なんだ。」

そう言った父。意志薄弱。それを聞いて私はやっと目が覚めた。




「父親ならば」この言葉を何度思ったか知れない。

どうして子供である私たちは父親から疎まれてきたのか。

それならなぜ私たちを産み育てたのか。またなぜ可愛がったのか。

私にとって理解できないことだった。

私も父に理解されていなかった。

何であっても苛立ちでは済まず、憎悪を感じていた。



ホメオパシーを始めて、自分の内面を見つめる中で、

父を理解し受け入れることが第一の大きな壁だと思ったけれど、

半分も破れない壁だった。

それでも私の身体からは、母由来ではなく父由来のにおいがする。

自分が父に支配されているようで、

どれだけ身体を洗ってきたかしれない。

でも毎日毎日思い知らされる。父から逃れることは出来ないと。

父を否定することは、同じ匂いのする自分自身を

否定することだった。本当に辛かった。




意志が強く持てない。自分の意思を通すことができない。

想像してみたらものすごい怖いことだった。

周りに翻弄されっぱなしの日々。情けなさとやりきれなさは、

学歴でカバーして、いまだにそれだけが誇りなのだ。

あれだけ家族の自由を犠牲にして、自分の思い通りの生活を

強いてきたのも、当たり前だろう。

自分の作った家族が自分を脅かす存在になったら相当困るのだ。

生きていけないのだ、そんな世界では。




やっと父の世界がわかった気がした。きっとまだ一部なんだけど。

可哀想で、悲しくて、そしてえらいと思った。

私には耐えられない世界を、父はずっと生きてきた。

そして私たちをこの世に送り出し、育ててくれた。

十分じゃないか。よく頑張ってくれた。何もしてくれなくてもいい。

感謝すら湧いてきた。この人に、理想の父など求めてはいけない。

理想は妄想だ。




父は私がこの世に生まれてきたというだけで、もう立派に父なのだ。

私のただ一人の肉親で、最愛の父なのだ。

そこに理由などない。あってはならない。

かつては自分とつながっていた存在。私は父の一部だったのだし、

今でも父と私は同じものなのだ。




父を受け入れることが、否定していた自分を受け入れることと

つながって、心底納得できた。受け入れずにきたことを反省した。

お父さん、これまでごめんなさい。そしてありがとう。大好き。

そして私にも、これまでごめんなさい。そしてありがとう。大好き。