miaowmiaow's blog

猫とか漫画とか日記とか。雑記帳ブログ。

2013年9月1日〜9月5日


目指せ、漢(おとこ)!!




『森のくまさん』

インナーチャイルドセラピストの試験勉強に、もう一度『インナーチャイルドが願ってる』を読んで見てる。初読時にはピンと来なかった部分が今では鮮やかにイメージが浮かぶ。じわじわ来る、これがとらこパワーなのかw
いやいや、ともかく忘れずメモりたいと思ったのは、インナーチャイルド癒しは『森のくまさん』に集約されているのでは?という、ハンパなネタだ。



恐怖(認めたくないことや直視できないこと)に出会った瞬間はひたすら逃げることを考える。だけど逃げれば逃げるほどに追っかけてくるのだ、似たような状況が、似たような人物が。途中で観念して恐怖の根源を見つめ心に問いかけてみる。すると意外にもギフトが得られるのだ。自分の本心の発見である。
で、恐怖だと思っていた物事は、ある価値観から自分が作り上げてしまった偽物であることが分かり、その役割を演じてくれた事象や人に感謝できるようになる。以降はその価値観を乗り越えることにより、自由と開放感から唄いだしてしまう。みたいな。


あ、がっかりした?え〜、分かりやすいと思ったんだけどな〜クマ(・(ェ)・)いいヤツやん、みたいな。



『もってけ泥棒』
公平、とかイーブン、ってどういう事なんだろうな。悲しみ+怒りが見えるな。無邪気かつ天真爛漫ならそんなこと気にもしない。無尽蔵の愛、ではなくて限りある私の価値、だから不可侵領域に踏み込むな!ってなるはず。


まあ、これからは仏スタイルで「奪われたのではない、与えたのだ」って言ってみようかなw
「減ってなどいない、初めから余っていたのだ」とか「預けて増やすのだ」とか(あれ違うな)、まあ最後は「持ってけ泥棒!」って江戸っ子かw


でも、保身ゆえに誰かの大事なものを知らず知らず奪ってる可能性は誰しも十分にあるわけで。保身の所以を考えさせるような働きかけは必要だろう、特に子供。まあ他人が難しいけどね。状況をシンプルに説いてやることかなあ。妄想からくる不安や恐怖の負荷を天秤に載せるなってね。そうそう、それこそが嘘つきの始まり。あ、持ってけ泥棒につながるw



『山に分け入る』
未来を選んで生きている、なんて本当だろうか。


選択した(というのも疑問だが)今を重ねているだけで、未来は誰にも分からない。だから無数の可能性に満ちていると言えるだろうけど、逆に不安になるのも事実。自分のこの世における判断選択ごときで、人生が変わるものだろうか。


見えない道を、道なき道を、一段ずつ進んでいく勇気を、今日の分だけ勝ち得ることぐらいしか出来ないと私は思う。運命の分かれ道だって言われるけど、自分がここを進むから道として後ろに開けるのであって、別の道が別のところに続いていたとは思えない。人生は未開の山の如し。行きたいように進むだけでは。回り道や寄り道しても、同じところにたどり着くんじゃないかって思う。自分の行きたい場所に。そういう約束を神様として生まれ落ちてきてるんじゃないかな。だから、あの時こうしておけば…の後悔とか、どっちが良い選択なのかって善悪や損得の天秤にかける悩みなんかは、している暇はないのかもしれないよ。選択しなかった「今」に思いを馳せるのも、道草だって思えばいいんだろうけど。






漢とは。 いわゆる「男伊達」「女伊達(→姐さん)」に相当する。ボーイッシュ等と異なり、表面は関係なく内面の深層が重要であり「ボクは女の子だよっ!」とかそういう次元の話ではなく、本当にいざという時に頼れるもの、自分の信念を貫き通し、見る者の目に「漢」を焼き付けた者こそが漢なのである。