miaowmiaow's blog

猫とか漫画とか日記とか。雑記帳ブログ。

私の中の母と父

8月の終わりに、母方の祖父が亡くなった。

母亡き後、私の絶対的な味方であってくれた祖父母である。

独りになった祖母も私の叔母の近くへ引っ越すことに。

それで、この機に母方の先祖代々のお墓の墓終いをすることになった。

祖母のアシを買って出て、その一部始終を見守った私に起こった不思議な出来事を、ここにも記録しておきたい。(以下、時系列に呟きまとめ)

 

10/2

今日は祖父の四十九日法要の後、お寺へお骨納めへ。山奥の共同墓地へはもう誰も参りに行けない(親戚縁者の高齢化や死亡)ので、そのお寺で永代供養してもらうことに。山奥のお寺なんだけどもね。

初めて入ったお寺さんだったんだけど、ものすごく古く由緒正しい所だそうで。聞けば、一枚板の大きな門は移築したものだから300年は経ってるとか。お庭もお堂の中の欄間彫刻も柱も、何といってもご本尊の仏様が、素晴らしかった。

ま、やりたがりのご住職で、新しい鐘撞堂は大変な額の寄付だったとか。でも、これもまた素晴らしいものだった。こんなお寺がこんな山奥で何代も続いているのが驚き。ありそうな話のようだけど、いまやほぼ限界集落地区なのです。

で、先代時分(戦争挟んだ頃)には、そのお寺にはお手伝いさんがいて、お寺の娘さんは「嬢ちゃん」と呼ばれていたらしい。。。

ご住職は、若いころは「ふりょう」で、暴走族みたいなことやってたとかいないとか。そういう人じゃないと信用出来ない気もするね。

既にお墓に入ってるお骨も近いうちお寺へ永代供養をお願いするのだけど、そこにうちの母の喉仏さんも一緒にお願いすることにしたよ。母が通ってた小学校の隣にあるお寺。そこで家族だった人たちと一緒に葬る。

ちょうど?祖父は喉の手術して喉仏さんはなかったから、母のを代わりに一緒にしてやっても何だかちょうどいい気もして。この父娘は濃い関係だったし、その祖父の喉の手術の看病時に母は急逝したということもあり。

この一連の手続きを終えたら、祖母は東京へ行ってしまうし。私を支えてくれていた人たちとの別れが続くのが、ちと寂しいなあ。

 

10/17

急遽月末には移住していってしまう祖母の、「お別れ会」をいくつか企画。

兄家族と私とで食事に連れていく。山奥の代々の墓をお寺へ永代供養してもらう。祖母の生家へ連れていく。私の母(祖母の長女)のお墓参り。私の実家にて父(祖母の義理息子)とのお別れ。

どれだけのカルマが絡んでいることか。これを25日までに終える予定だけど、エネルギーがカスッカスになりそうだな~…見えない所の、断捨離だなー、これは。

 

10/23

お前を育てたのは俺だ、俺の金で俺の労働であれをしてやったのだこれをしたやったのだと宣う父。だから元を取るためにも俺の面倒を見るのが道理だと。

実際は父より母のが働いて面倒も見てくれていたけど、そんなことは父に通じるはずもなく。子供にとっては、育てるまでのお金の話をされるとどうしても弱かった。そんなの、子を持つ親の責任だろうといえるというのに。

世の中、似たような抑圧を受けて、親から逃れられずにいる人も多いと思う。少なくはないだろう。でね、私は最近こう思った。私がここまで生きてこられたのは、私の生きる意志があったからだと。それが一番なのであって、金が一番じゃないだろう。そこに気が付いたというか、考えが行った。でもその発想は、これまでには無かった。

俺のこの家に住まわせてやって、俺が食べさせ学校を出した、お前の作文が入賞したのは俺が添削したからだ。そんなの知るかw

というわけで、生きるも死ぬも本人次第。父が老後を思うように過ごせなくても、それは子が果たすべき義務を果たさないせいではないのです。本人に、そのように自力で生きようという考えがなく、人にやってもらおうとしているから、思うようにならないのです。はーすっきりした。

母が亡くなってから、母の分まで父とガチバトルしてて、終わる気配もない。それは、私の中に、自分を信じきれない弱さ(私が生きているのは父の献身と犠牲があったから?とどこかでは思ってる)があって、負ける(認める)のが死刑宣告をされるような恐怖感や嫌悪感があったからだと思う。

私が生きていることに誰かの許しや誰かの犠牲が必要なわけじゃない。要るのは自分の意志だけだ。生まれて大きくなってきたことは、後ろめたい事じゃない。

いやー、お母さん、気づいたよ、やっと!!!

明後日、母の喉仏を母の生家のご先祖様と一緒に納骨する。喜んでくれてるんだな、これは。

 

10/25

母の先祖代々の墓には、母が生前に「付いててくれてる気がする」と言ってた母の伯母の墓があるのだが、彼女は21才で満州から生きて帰れなかったのだ。死後10年近く経って、やっと墓を建立し供養した形になってる。

だから、お墓の中には何もないと言ってたんだけど、いざ開けてみると、彼女が使ってた歯ブラシが一本横たわってた。毛の部分はもう分解されてなかったけど、柄のプラスチックの鮮やかなピンクがすごくリアルで、70年は経ってると思うんだけど、訴えてるものがあったよ。。。

中を開けて、彼女の生の証を子孫が知ることができたのは、大きな供養だったと感じる。

初めて存在をリアルに感じたからね、そんなの、母はおろかお祖母ちゃんでさえ知らなかったこと。写真や名前で見知るだけのご先祖さま、感慨を持てないものよね。

若くして、とか、無念のうちに、とかで亡くなって、その後本当に忘れられてしまうのは、霊魂になっても恐怖なんだろうな。

自分の人生を満足に生きられなかった人の想いについて、よくtらちゃんも言及するけど、きっと若ければ若いほどそのエネルギーは膨大だと思う。うちの母でさえ、56才の想いのエネルギーは相当なもんだった。数年間は死後直後と変わらないほどの強さだった。

まあ今回は、母の実家のご先祖供養問題に、一旦いい形での区切りがつけられたわけだけれど、着く時はちゃんとそのタイミングでやって来るんだなと。祖母の実家の問題にも世代が交代して一区切りついてて、みんな何だか穏やかでいい表情だったし。周りの関係者の問題まで解決の波が影響してた。

そうなって初めて、カルマ(?執着の問題かな?)解消の機が訪れるんだろう。自分だけ頑張ってどうかなるものでもなくて。頑張ることは大事だけど、自然と機が熟すのを待たなくては。

自然に無駄なことは一つもない。人間の執着心だけがそれに逆らうのかもね。

 

10/28

霊感ある母の友人とバッタリ。お世話になりつつも、家を出てからご無沙汰してた。この人は、母が倒れた夜、風呂で寝てたら母の呼び声がして起きたそうな。

それから彼女の霊感のお師匠さんに、突然の死を受け入れられずに彷徨ってる母魂を供養してもらった。そのお師匠さんは、私がホメを学ぼうと決めた時に、誰にも話してないのにすでに察知してた。

とまあ、ご縁の深い人にこのタイミングで・・・なので、一度ゆっくり会って母の実家のことや母の納骨について話して来ようと思う。母が「やっと荷が下りたよ~」と伝えたかったのかもしれないなと思う。

ははは、祖母のことが片付いたら、さっそく父が具合悪く入院。いつも休憩くれないな、かみさまは!

 

11/4

ここ数日、父を見舞いに行ってて、以前なら到底できなかったしする気もなかったし頼まれたら怒りで頭部が吹っ飛びそうなイメージの場面でも、すんなり出来る。楽になったよ。

ぱぁんと透明な膜が弾けた飛んだように、父に支配されて抗えない恐怖や怒りが無くなり、見えてる世界は同じでも、自分の意志で動いている爽快感と穏やかな感覚がある。

私はエネルギー根本体質診断?で、2割を自分以外の人の意志で生きていると指摘されたこともあるし(それは母と父だとすぐ分かった)、ホロスコープ上も母の存在感が大きい。実際一卵性双生児のような母娘と言われたこともあるし、自分では母と二人で一人前だったと思っている。

思考が母のものをベースにして生きて来ているということ。別個の感性や性格を持ってはいるけど、常識や観念の部分が同じであった。その部分がちょうど剥がれ落ちて、自分の気持ちだけで動けるような感じだね。今。

こういうの、自立っていうんじゃないかな。

あ、そうそう、こないだから忘れないように書いとこうとおもってたこと。ちょうど今、レメディ摂り始めて丸7年経ったところ。身体の細胞が入れ替わったかしらん?精神も同時期に生まれ変わった感じよ~

 

母の鎮魂をすることで、あれほど困難だった父との問題が流れ始めてる。

すべてに因果があり、理由がある。

時間的にも想像以上に大きな世界に生きていると知って、ものすごく着地感がある。

自分の気持ちに正直にやってきて、本当によかった。